回転木熊のグルペット

真紅のWilierにまたがって栃木の田舎道をぷらぷらしています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

町田 康「告白」

この本は、思弁的などというレトリックによってあたかも明治の世に「近代的な思考のめざめを自覚してしまった (c)中条省平」かのように偽装されてはいるが、実のところ堂々巡りに思い悩むばかりでちっとも「考える」ことの出来ない城戸熊太郎というあかんたれの物語である。

全体の四分の三くらいまではそのあかんたれぶりが遺憾なく発揮されてまことに愉快この上ない。
葛木モヘア&ドール(葛城ユキを想起させる名前だ)とのエピソードのくだらなさや、賭場でのダメダメぶりや、女に言い寄りたいのに言い寄ることが出来ずに身悶えする描写などはさすが町田康とも言うべき筆致で、こういうあかんことを書かせたら当代随一と言って間違いないんだろうな、と納得する。

しかし、三角形の「カミ」を飛翔させたり、お縫を「カミ」の使いと言い始めたり、獅子頭の中から主体と客体を見たりし始めるあたりから町田の筆がだんだんと鈍っていく。
そしてクライマックスであるはずの「十人殺し」の場面ではついに物語に町田の言葉が追い越されている。文章がどうにも遅い。

もとより町田の文章は意味に比して音数―オトカズ―が多いのでスピードは遅いのであるが(音数の多さがスピード感と混同されることも多い。反対に音に比して意味数―イミカズ―が多い文章を書く作家もいる)、今までの作品ではそれを面白さとして捉えこそすれ、弱点として気になったことは無かった。何故かと考えると、今まではスピード感のある場面を描いてこなかったからだ、と思い当たる。

これをすごく好意的に解釈すれば、スベッている熊太郎を描いている作者の町田康自らがスベることによって思考と言語が一致しない熊太郎の胸中を表現しているのだ、なんてことも言えなくもないが、それはあまりにもご都合主義が過ぎるというものだろう。

そんな風にして主人公と作者共にだだスベりのまま物語はくっちゅんぴろりんちょんと終焉を迎えてしまい、結論としては町田康はヘンに盛り上がりのある物語なんてものを書いたらあかんかった、ちゅうこっちゃ。

★★★☆☆
関連記事
スポンサーサイト

FC2Ad

まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。