回転木熊のグルペット

真紅のWilierにまたがって栃木の田舎道をぷらぷらしています。

読む価値が無い文章

東北出身の友人Sさんが東北弁を馬鹿にされたような格好になっていて、その事への反撃みたいな形で「日本の最先端は京都でそこから波紋状に日本中に流行が伝わるので今の東北の言葉は昔の京都の言葉だ」というようなことを国文科に居た時に習った、という主張を展開していた。

その論理自体も聴いたことがある気がするし、記憶が曖昧だったので凄く興味を持ったのだけれど、実はその論理よりも寧ろ、今のSさんと何年か前にその講義を聴いた時のSさんが、その話題によって一直線に繋がったような気がしてその事の方が僕はとても面白かった。

その講義を受けた時、Sさんはもしかしたら「これは東北弁を馬鹿にする奴らに使える!」と思ったのかも知れないし、今まで何年間もそれを使うチャンスを窺っていたのかも知れないし、すでにもう何度もその論理を披露してきたのかも知れないけれど、とにかくその瞬間にニューロン細胞がスパンスパンスパーン!と伸びて今のSさんと午後の陽射しが差す教室に居たSさんが時間と空間を超えて直列に繋がったビジョンが明確に浮かんできた。

実際には繋がっていたけどお休みしていたニューロン細胞の回路に電気信号が流れたってことなんだろうが、その時僕の頭に浮かんだ映像はやっぱり細胞がスパンスパンスパーン!と伸びて橋のように時空を跨ぐイメエジなワケで、その辺が僕が概念的に物事を捉えがちな人間だという証明なのだろう。きっと。

とにかく、こういったシナプスの連鎖はいつも起きているはずのことなんだけど、ありありと実感する機会はいつもあるわけでは無いので、なんだかとても面白くて「うーん」と唸ってしまって、つまりそれは記憶が時空を超えるタイムマシンでありどこでもドアであるところに改めて感銘を受けたということなのだと思うのだけれど、こういう当たり前なことを面白がる面白さは恐らく他人には伝わり難いことなので、この文章は他人に読ませる価値が無いと思った。
スポンサーサイト