回転木熊のグルペット

真紅のWilierにまたがって栃木の田舎道をぷらぷらしています。

ポール・オースター「ティンブクトゥ」

Timbuktuと聞くと、高校世界史の「カンカン・ムーサの統治で14世紀に西アフリカで栄えたマリ王国の首都であるトゥンブクトゥ」といった断片的な記憶が頭に浮かぶ。ここでのティンブクトゥとはもっとぼんやりとした遠くにある黄金郷といったイメージか。

自称詩人のご主人様ウィリー・クリスマス(クリスマスと言えば「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」なんてのもあったね)と忠犬ミスター・ボーンズとの寓話を主題として、後半にはオースターらしからぬ「サバービアの憂鬱」テイストがカットイン。相変わらずの裏切り上手。

オースター版の「我輩は犬である」なのは間違いないのだが、漱石のそれや保坂和志の「明け方の猫」のように動物の視点に立つことを殊更に強調する風でもない。いつものように捻くれた人間たち(と犬)が淡々と描かれていく。

いつものように、ではあるのだが、今回のオースターはニヤニヤしながら読めてしまう部分も多くカジュアルな感触もあった。中編であることも一因かも知れない。

なんというか、ディックの居ない平日の昼下がりに、ポリーがテラスのデッキチェアで読んでいそうな一冊。その傍らにはスパーキーことミスター・ボーンズがお気に入りの芝生で戯れていて…

★★★★☆
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ビル・ブライソン「人類が知っていることすべての短い歴史」

天文学から量子力学、地学、古生物学、古人類学、果ては分類学に至るまで、これまで人類が挑んできた科学の「さわり」が厚さ5cmほどのちょっと持ち重りのする本に収められている。

広範な科学の研究成果が、我々にも著者自身にも(ココ重要)理解出来るように紹介されているので、科学方面へ興味は抱きつつも数式に拒否反応が出てしまう我々文系人間のワガママな知的好奇心を十二分に満たしてくれる。

と言っても「先端科学の最新情報を網羅して一覧にしました」といった雰囲気のものではなく、書名にある通り人類がそれを知るに至った(あるいは知るに至れていない)歴史を変人揃いの科学者を通じて描いている面も多く、それだけでも楽しめること請け合い。

これだけの事実を調べ、文献を読み漁り、専門家に話を聴き、自分なりに理解し、分かりやすく書き、確認をとって仕上げる、という途方もない作業量を思うと気が遠くなってクラクラしてくるのは僕だけではあるまい。

元々旅行記作家である著者は、各地で出会った現役の研究者にとりわけ興味を惹かれたように見える。以下に著者と現役研究者とのやりとりを本文から2箇所引用する。

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「だからこそ、ひとつの植物種を四十二年かけて研究する人間が、格別新しい成果を出さなくても尊ばれるんですかね?」
「そうですとも、まさにそのとおりです」フォーティはわが意を得たりという顔で答えた。
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「完璧に謎です」ジラニ・ンガリはそう言って、顔を輝かせた。
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未知へと向かう人間のココロの動きこそが科学なのだ、と著者は確信したに違いない。

「たったの600頁、もっと読んでいたい」一冊である。

★★★★★

村上 春樹「意味がなければスイングはない」

村上春樹が日本有数の分厚さを誇るオーディオ雑誌「季刊ステレオサウンド」(オーディオ界のカーグラフィックみたいな存在)に連載していた音楽評論というか音楽エッセイを加筆してまとめた一冊。
この糞重い広告の塊のような雑誌を、僕は毎回2000円出して買うなんてことはせずに図書館の雑誌コーナーで拾い読みしていたりするのだが、氏の連載は毎回わりと楽しみに読んでいた。

で、今回改めて通読した訳だがやっぱり面白かった。どのくらい面白かったかというと、僕は村上春樹の小説の熱心な読者ではない(「世界の終わりと~」辺りの時期までしかまともに読んでいない)のだが、これなら彼の小説をもうちょっと読んでもいいかな、と思い直す程度に面白かった。

グッド・ミュージックならなんでも聴く、といった姿勢が徹底していて、書名から察せられる通りにジャズから始まってクラシックもロックもJ-POPも語っている。
音楽は何が好きですか?と尋ねると「なんでも聴きます」と応える人は多いけれど、その「なんでも」が「倖田來未とトランス」だったりしてそりゃなんでもじゃねえよという話に往々にしてなったりするのだが、この人はホントに「なんでも」だ。多分僕の音楽好きを5倍悪化させたら彼くらいになるんじゃないだろうか、と思う。

プーランクからスガシカオまでという幅広い題材をどの程度楽しめるかは、読者の経験値に依るとしか言いようがない。楽しめる人はぐんぐん楽しめるし分からない人はとことん分からないかもしれない。そりゃそうだ。音楽エッセイだもの。
それでも、ゼルキンを語るときにルービンシュタインを引き合いに出したり、スプリングスティーンとカーヴァーの類似点を示唆したり、といった間口の広げ方というか取っ付きやすさの匙加減はさすがにプロの物書きらしい巧妙さがあって、安心して読み進めることが出来る。

それにしても、こういう「著名な作家による音楽に関するちょっと長いエッセイ」を掲載出来るのが、音楽雑誌でも文芸誌でも一般誌でもなくオーディオ専門誌しか無かったという事実に、日本の音楽ジャーナリズムの不毛さをありありとリアルに実感させられる。

★★★★☆

青木 淳悟「四十日と四十夜のメルヘン」

どこかで保坂和志氏が薦めていらしたので読んでみた。

表題作「四十日と四十夜のメルヘン」は、冒頭で井荻や下井草の描写が繰り返される辺りは同じ西武線沿線を良く描いていた保坂氏と被らないこともない。いわゆるセゾン系の流れ?
そこから先は主人公のうだつの上がらない現実をなぞった7月初旬の日記のループと文章教室の先生という人物の作品と主人公の作中作とがメタフィクショナルな展開を見せ、なかなか読み応えがある。
「チラシの裏」の使い方も洒落ている。

カップリングの「クレーターのほとりで」はSF風味を効かせたファンタジーの習作といった感が強くちょっと物足りない。

若い書き手さんなので今後に期待。

★★★★☆

町田 康「告白」

この本は、思弁的などというレトリックによってあたかも明治の世に「近代的な思考のめざめを自覚してしまった (c)中条省平」かのように偽装されてはいるが、実のところ堂々巡りに思い悩むばかりでちっとも「考える」ことの出来ない城戸熊太郎というあかんたれの物語である。

全体の四分の三くらいまではそのあかんたれぶりが遺憾なく発揮されてまことに愉快この上ない。
葛木モヘア&ドール(葛城ユキを想起させる名前だ)とのエピソードのくだらなさや、賭場でのダメダメぶりや、女に言い寄りたいのに言い寄ることが出来ずに身悶えする描写などはさすが町田康とも言うべき筆致で、こういうあかんことを書かせたら当代随一と言って間違いないんだろうな、と納得する。

しかし、三角形の「カミ」を飛翔させたり、お縫を「カミ」の使いと言い始めたり、獅子頭の中から主体と客体を見たりし始めるあたりから町田の筆がだんだんと鈍っていく。
そしてクライマックスであるはずの「十人殺し」の場面ではついに物語に町田の言葉が追い越されている。文章がどうにも遅い。

もとより町田の文章は意味に比して音数―オトカズ―が多いのでスピードは遅いのであるが(音数の多さがスピード感と混同されることも多い。反対に音に比して意味数―イミカズ―が多い文章を書く作家もいる)、今までの作品ではそれを面白さとして捉えこそすれ、弱点として気になったことは無かった。何故かと考えると、今まではスピード感のある場面を描いてこなかったからだ、と思い当たる。

これをすごく好意的に解釈すれば、スベッている熊太郎を描いている作者の町田康自らがスベることによって思考と言語が一致しない熊太郎の胸中を表現しているのだ、なんてことも言えなくもないが、それはあまりにもご都合主義が過ぎるというものだろう。

そんな風にして主人公と作者共にだだスベりのまま物語はくっちゅんぴろりんちょんと終焉を迎えてしまい、結論としては町田康はヘンに盛り上がりのある物語なんてものを書いたらあかんかった、ちゅうこっちゃ。

★★★☆☆

スティーヴ・エリクソン「アムニジアスコープ」

これはエリクソン流の「Ich-Roman」なのだろうか。
オチもいかにも私小説っぽい感じだ。

「マラーの死」の設定は好き。
エリクソンの近作には「ここの設定は好き」というエクスキューズをつけてしまいたくなるものが多く少し残念。「Xのアーチの宗教都市は好き」とか。

★★★☆☆

[メモ] ジャン=フィリップ・トゥーサン「カメラ」

彼女はわかっていないのだけれど、ぼくのアプローチ法は、一見はっきりしないものではあるが、その狙いは行く手を塞ぐ現実をくたびれさせることにあり、それはちょうど、オリーブの実を相手にするとき、オリーブをまずくたびれさせてしまうと、フォークで刺しやすくなるのと同じで、何であれ決して事を急がないというぼくの性分は、損な性分というどころか、実はそれでこそ都合のいい具合に地盤をならし、機が熟したところで一気呵成に攻撃をしかけることが可能となるのである。


ジャン=フィリップ・トゥーサン著・野崎歓訳「カメラ」より引用

★★★★★

阿部 和重「グランド・フィナーレ」

大作「シンセミア」からのスピンアウト・ノベル。大変遅まきながら芥川賞受賞。
はっきり言ってしまえば「シンセミア」の毒を薄めてお子様向けにしたような出来映え。
芥川賞には悪い癖があって、どこか物語を描くことを途中で放り投げた作品を好む傾向がある。「ブエノスアイレス午前零時」とか「日蝕」とか。
特に笑っちゃったのが平野啓一郎の「日蝕」で、肝心の主人公が真理だか神秘だか何だかに出会うシーンで・・・・・・と白紙が延々数ページも続く体たらく。大爆笑。
そんなワケで「シンセミア」では独自の世界観を描ききってしまった阿部和重が新人賞向けにゆるーく書いてみました、って感じ。
まぁ芥川賞受賞作家のベスト作品は他にあるのが定説なので、「インディヴィジュアル~」でも「ニッポニア~」でも「シンセミア」でもいいから他の作品を読んでみてはいかが? と思います。

★★★☆☆

葉桜の日

一週間前は狂ったように咲き誇っていた桜にも若葉が目立つようになった日曜日。狂った日曜日おれたち二人。
花びらの撒かれた花道ならぬサイクリングロードを自転車でシャーッっと・・・もといドドドドッと駆け抜ける熊一匹有り。

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葉桜の下を走っていてふと思い出した。
作家の鷺沢萠さんが亡くなって一年くらいじゃないだろうか。
帰ってきて調べたら命日は4月11日だった。

すっかり忘れていました。ごめんなさい。
ちょっと遅くなったけど、今日はあなたの好きだったビールでも呑みながら(下戸だからミニ缶だけど)、あなたが自らのアイデンティティを賭して書いた「葉桜の日」を読みます。

サギサワさん、今年も桜は綺麗でしたよ。そっちはどうですか?

マイケル・ヴェンチュラ「動物園―世界の終る場所」

エリクソン大先生の序文付き。

離婚とそれに伴う子供との関係性および自分自身の変化、とか一見ありきたりのアメリカン・ファミリーアフェア。

主人公が変化するきっかけとなる動物園とそこの動物たちがとても魅力的で、確かに大人になってから行く動物園というのは子供の頃のそれとは違う世界が垣間見えるのかも知れない。

神や楽園に関する記述は一神教徒では無い身にはあまり感慨が湧かず。子供の頃からクリスチャンとして洗脳されてたら別なんだろうけれど。

この人のエッセイが読みたい。面白そうだ。

★★★☆☆
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